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8/23 - 2005 OSAKA - Teenage Fanclub「Sparky’s Dream」

もう丸々18年にもなる。

 

2005年、8月12日早朝。

福岡市の"自称"「副都心」、香椎駅のホームで、僕たち4人は灰になった矢吹丈のように頭を垂れてベンチに座っていた。

 

僕たちはその年のサマーソニックOSAKAへ向かうために、駅で始発を待っていたのだ。

 

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その年の8/13のOSAKAステージにオアシスとウィーザーが来るというので、この二組同じ日の同じステージに来るなんてもう行くしかなかろうもん! ということで、福岡在住の4人と途中の岡山でもう1人合流して大阪へ乗り込むことが決まった。

 

だって、今見てもこれすごいメンバー。どうやっても見られないバンドがあるのが惜しすぎる……。Black Crowesやギミギミ、カサビアンにラーズ。どのバンドを見逃がすのも断腸の思い。

 

その並みいる豪華メンバーの中でもティーンエイジファンクラブ(Teenage Fanclub)の名前に、僕はひそかに心躍らせていた。

 

金はないけど時間はある僕らは、「青春18きっぷ」を使って鈍行列車で大阪へ向かうという強行軍を計画。どのくらい時間かかるかは誰も問題にしない。むしろ時間をかけてこの旅を楽しみたいとみんなが思っていた。今ならそこが一番問題なんだけど、当時はそうじゃなかった。『大事なもの』なんて、本当は移ろいやすいものなのかもしれない。

 

当時僕の付き合っていた女の子(後の奥さん)に、そのことを意気揚々と語ると、クリスタル・ケイや浜崎あゆみをよく聞いていた彼女は、よかったねーと言いながら "Teenage Fanclub" というバンド名が変だと言っておかしそうに笑っていた。

 

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出発前夜、みんなで楽しみでバカみたいに浮かれて飲んで騒いでカラオケ行って、泥酔してそろそろ行くぞと駅に向かったのが午前四時。完全なペース配分ミスの飛ばし過ぎ。誰もいない駅のホームに並ぶ4人のジョーは、パンチではなく、ただのサケドランカーだった。

 

そこから起きて寝てを繰り返しながら、ほとんどずっと飲酒しながら普通電車に揺られること14時間。やっと大阪に到着して、駅前のタリーズで一服。

着いたことを彼女に電話すると、彼女は大阪に、というよりもタリーズに居ることをうらやましがった。僕は『なかなかお茶しない人』だったのだ。今度はお前といくから…なんて甲斐性のあることを当時の僕が言えるはずもなく、へへーよかろうがー(いいでしょー)、と自慢しただけだった。

 

大衆浴場(「特殊」ではない)で汗を流し、宿はインターネットカフェと、僕たちはこの旅をとことん安価に安価に仕上げていった。

 

13日の開催当日は午前中から、モノレールで会場に向かう。

途中、"RIP SLYME"のシャツを着たかわいい女の子たちを暗い目で眺めながら毒を吐き、会場では並ぶ気も失せるような物販ブースの長蛇の列にとげとげしい視線を送りながら毒づいた。(ホントはTシャツが欲しかった)

 

それでも最初に見た"Caesars"の「Jerk It Out」のイントロのオルガンを聴いたときは、これまでにそんな流れ方したことないよね? というような体から頭への血の巡りを感じたのを今でも覚えている。

学祭の会場みたいなチャチなステージで、演者と客の距離も本当にすぐそばで、これが『ライブ』だ、と思った。

 

その後、友人たちは"木村カエラ"を見るとかヌかす(おっしゃる)ので、ぜーんぜん見たくないもんねーと強がりながら1人でさみしく他の会場を転々と見て歩いた。

途中、見知らぬ人と通りすがりにハイタッチしあったり、連夜の睡眠不足と酔いでベンチに座って大口開けて仮眠してたら見知らぬ人にビールを注ぎこまれておぼれかけた。基本的に、見知らぬ人たちもみんな「フェスハイ」になっていた。皆が普段はやらない異常行動をとっていたように思う。現に友人の一人は、見知らぬ人たちに、がしがしビールをおごっていた。

 

ウィーザーとTeenage Fanclubの出演時間が少し重なっていた。

僕はもちろんウィーザーも見たいけど、彼らは福岡にも来てくれていて何度かライブを見たことがあったので、今後来日公演があったとしても関門海峡を越えて九州に来ることはないだろうと思われるTeenage Fanclubの方へ、また僕だけ、向かった。

 

その日の朝にCaesarsを見たのと同じ会場で、僕は、今のところの生涯でも忘れられないライブを経験した。

 

演奏がうまいとか曲が良いとか、そういうのを超えて、もう単純に「いま、この距離で自分の好きなバンドが演奏している」ということに、とにかく興奮した。

 

その体育館のような会場にいた人たち、みんな他の同時間帯の大物バンドよりもTeenage Fanclubを選んだのだ。僕だけじゃなくてみんなそういう暗黙の一体感のようなものを感じていたような気がする。

 

「Sparky’s Dream」を聞けて、一緒に歌えて、ほんとうにうれしかった。

 

学生時代はいつも集まって大騒ぎしていた仲間も、『社会人』という得体のしれないものになりかけていて、フリーターだった自分もこのお盆明けには、のちに楽器部門へ異動し10年働くことになるCDショップへのフルタイムでの勤務が決まっていた。

 

就職や生活環境の変化でみんなであつまることも少なくなっていた。大げさかもしれないけど、この旅にある意味『青春の集大成』のようなもの感じていたようにも思う。それなのに旅を豪勢にしないところも僕ららしかった。

 

 

 

1人でTeenage Fanclubを満喫した僕は、メイン会場の友人たちと合流し、ウィーザーそしてオアシスへと続くこれまた最高の夜を味わうことができた。

 

終始酔っぱらっていたので、その辺の外人女性に話しかけて、テキトー英語で会話したりしたあげくに、"JET"と大きく書かれたTシャツを着ていた僕はその女性に「Are you gonna be my girl?」とか言って、あーた意味わかってんのか? と目を見開かれたりした。そのシチュエーションをにくたらしく眺めていた友人は、すたすたと歩いてきて、いきなり僕の頭に紙コップのビールを注いだ。

 

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不思議なことに、電車で帰ったことはほとんど覚えていない。乗ってないんじゃないかというくらいに。大半を眠っていたということもあるとは思うけど、やはり目的の物事に向かうときと、果たしてしまったあととでは脳みその働き具合いに随分差があるんだろうと思う。帰りの脳みそも、きっと大部分が疲れて休んでいたのだろう。

 

自分では覚えていなかったのだが、僕は福岡に帰ってから彼女に「楽しかったよー、寂しいよー」と次の日から訪れる『社会人』としての日々とのギャップに泣き言を言っていたらしい。

後日聞けば、内心「甘ったれるな」と思っていた彼女だったが、その時は優しい言葉をかけてくれた(と思う)。

 

それから数年して、彼女は妻になり、友人たちはそれぞれに家族を持ったり持たなかったりしているが今も友人たちのままだ。

 

妻とはその後、頻繁に『お茶』をした。実際にはコーヒーだけど。

妻は彼女自身の音楽的な好みと、僕の好みが違うことをいつも気にしていた。CDショップで働く女性や、そういった夏フェスなんかに参加するような女性と一緒にいる方が、僕の趣味が合う(僕が喜ぶ)のではと思いこんでいた。

妻にとって、この僕たちの青春旅行は不安なものでしかなかったということを後日知った。

 

たしかに、あの日Teenage Fanclubをみた会場では若い女性のファンも多くいた。そのことは印象的でもあった。

でも僕は、フェスの熱気があふれた体育館で「ノーマーン!!!」なんて叫んでた女の子より、Teenage Fanclubというバンド名を聞いて「変な名前ー」と言った彼女といる方が、心地よくて、趣味が合わなくて不満だなんて考えたこともなかった。

だから僕は、そのことをきちんと言葉で、妻に伝えた。

 

あの日大阪のタリーズで電話した時よりは、そのあとたくさんの時間を経て、僕も妻も、お互いに大切なことを伝えあえるようになってたんだな、と今一人パソコンのキーを叩きながら、僕は考えている。

 

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コメント: 4
  • #1

    炭焼ベーシスト (金曜日, 25 8月 2023 18:45)

    珍しく、いい記事やね。
    泣かせないでよ。

  • #2

    SPOONの中のイマムラ (土曜日, 26 8月 2023 00:22)

    はは! 『珍しく』ね。(オイ!)
    カッコつけんなよ、って話やけど。

  • #3

    バンティエン (土曜日, 26 8月 2023 12:28)

    泣けるー!
    言葉で伝えるって大事!
    またいろいろ話そー♩

  • #4

    SPOONの中のイマムラ (土曜日, 26 8月 2023 13:54)

    バンティエンさん、コメントありがとう!

    友人たちとのバカ旅を書くつもりがテイストが途中で変わっちゃった…!
    うん、言葉でとことん話して、自分を、相手を、知って知られて…。それができたら『相性』なんて、思い込みだっていう気がしてくる。

    また博多出てきてくんさい✰
    ありがとう!